唯信寺ご縁起


唯信寺は親鸞聖人の直弟子唯信房の開いた真宗の寺です。唯信房の父は、八田宗綱の子で鎌倉幕府の有力御家人として、常陸守護職に任ぜられています。三男義冶は、22歳の時稲田在住の親鸞聖人に帰依し法名を唯信と賜りそのまま寺号(名)にもなっています。約800年前、親鸞聖人の面授の24輩(人)の22番に列せられ、今日に至り全国からご旧跡参拝の方々も訪れます。

境内には樹齢約800年の椎の木を初め、樹齢約200年の枝垂れ桜などがあり、3月下旬から4月上旬にかけて近くの市営北山公園の白鳥湖周辺の桜見物を兼ねて、毎年多くの方々が訪れています。周辺には友部高校、教育センター等があり境内南北に、寺駐車場を兼ね備えております。重厚な本堂並びに建物、見晴らしのよい高台の墓地等があり樹木の多い落ち着いた静かな境内です。




唯信寺の歴史的行跡



・ 一切経の校合(編さん)


 鎌倉時代末期の貞永元年(1232年)八月常陸国滞在20年間のご苦労の地を離れて、親鸞聖人は御年62歳の頃京都へお帰りの折、鎌倉の執権北条泰時の発願により、その要請で親鸞聖人に唯信房は随行し、八万四千の法門といわれる一切経の編さんに携われ、大変功績のあった学究肌の僧でした。その後、箱根の山まで見送られ、形見として御真影を聖人より賜りました。
 聖人帰洛後、本願念仏の信心を確かめる為、常陸国より十余ヶ国の境を越えて、命がけで親鸞聖人に面授した、唯信寺門徒もあったと伝えられています。(『歎異抄』第二章の有名なご文)



・ 安芸門徒創設者としてのご苦労

 宍戸一族の宍戸朝里(ともさと)は、鎌倉時代、当時の執権足利尊(たかうじ)氏の要請で、九州地方の討伐の遠征に参加しました。その功労大により、安芸国(広島地方)を所領の旨の下命があり、故郷の常陸国宍戸の地で信仰していた親鸞聖人の本願他力のみ教えを基盤に治世に努め、善政を施したため大いに栄え、このみ教えは士農工商問わず広く深く根ざしてきました。
 広島地方では、宍戸朝家(ともいえ)と呼ばれ浄土真宗(お西)の寺の開基になっています。安芸門徒は信仰心の厚い同行であることが、全国に名が知られわたり、今日も、各界に有為の人材を多く輩出していることであります。NHKの大河ドラマ「毛利元就」でも、過年史実に基づき放映され大きな反響がありました。



・ 北陸移民の先駆者

 江戸時代末期の文化文政の頃、宍戸藩主は松平頼救公で唯信寺住職と公私共々書を通してじっ懇の間柄でした。当時は、水戸藩、宍戸藩、笠間藩共々、天災飢饉が相続き、人心も荒廃し、転住、逃散が多く、石高が下り物心両面に亘り窮地状態に陥ち入りました。笠間藩主牧野公から稲田西念寺良介住職に打開策の相談がありました。当時の唯信寺住職唯恵師(第20世)、唯定師(第21世)の二代に亘り良介住職、並びに松平公から相談されました。それは、信仰厚く丹精な良民の移住により、再開発し石高向上を図る他には得策がないことが確かめられました。そして、真宗繁盛の北陸の加賀、能登、越中の優秀な農民の次男、三男を中心に選抜しました。そして、常陸国に艱難辛苦して移住してきました。宍戸藩の飛び地の小鶴ノ荘(現茨城町)も含めて旧水戸市、旧美野里町、旧友部町、旧内原町、旧笠間市の荒地や山野を開墾しました。当初は、唯信寺は藩主と協力して「もみ米一俵、桑下た三年」と言われ、(もみ米一俵を寺より一族に分けて、養蚕の桑の木が育つ三年間は粗税免除の措置)を特別に藩の許可を頂き辛酸をなめて開墾に努めてきました。当時の、常陸国の真宗寺院は、これに追随し七通りの道のりを経て、北陸移民に努めました。
 そして、徐々に石高も上がり人心も安定してきた功績により、徳川の御紋の三つ葉葵の御紋が本堂、境内、衣に認可されました。現在、松平頼救公の能筆の書額は門信徒会館に掲示されています。尚、西念寺良介住職は加賀前田公の笠間藩主牧野公への圧力に責任を感じ自害されました。遺言により唯信寺から養子入寺りしています。



・ 戦災による本堂焼失の悲劇

 昭和二十年二月十七日早朝、米軍グラマン機攻撃により七堂伽藍が焼失しました。寺島第一小学校(墨田区)の疎開児童60数名は、一人の死傷者もなく非難救出されました。当時県内二千余りの寺で、わずか四カ寺が戦災焼失の受難を受けました。米軍の本土侵略に先立つ戦略といわれ、寺や門徒にとって大きな悲劇であり、苦難のスタートでありました。



・ 本堂再建に着手

 敗戦直後の経済基盤の破綻、人心の荒廃の中、筆舌に尽して難い苦境の中で、信心厚き門信徒は寺族と協力して、昭和26年から本堂再建の着手されました。馬車で遠近の門信徒宅から松や、欅の供木頂き、荒れた道の運搬し製材してもらい、門信徒総出で連日勤労奉仕を頂き、物資不足のなか、物々交換で瓦を作ってもらい約十年の歳月をもって本堂が建立円成されました。引き続きお内陣の荘厳(おかざり)がなされました。完成にいたるまでは今後の課題でありましょう。
 子々孫々が、手の合わさる念仏の道場を建立された願いをとの先祖の見識とご苦労に応えて仏法繁盛を致すことが、仏恩報謝のご懇念であり、門信徒の責務でありましょう。